SPIRITS すぴりっつ掲載記事
島村俊治インタビュー
野茂、イチロー、新庄の遥か昔 日本人大リーガーがいた
村上 雅則(元サンフランシスコ・ジャイアンツ選手)談

 今では大リーグが身近なものになった。さまざまなメディアを通して彼らのプレーを実感する事ができるからだ。しかし、今から37年前、単身アメリカに乗り込んだ村上雅則にとって、大リーグはあこがれの地ではなく、まったくの「未知との遭遇」であった。だが彼は、異空間を拒むのではなく、進んで受け入れ、大きな軌跡を残した。彼の功績は、ずっと語り継がれるだろう。
「スポーツを伝える」ことは「人間を伝える」こと
 感動的なスポーツシーンには、必ずその感動を伝えてくれる預言者がいる。それが新聞記者であることもあるし、カメラマンであることもある。島村俊治は自分の声で、自分の言葉でその感動を伝え続けた。

「スポーツを伝えることは、つまり人間を伝えること、その人間の営みを伝えることでしょうね」元NHKスポーツアナウンサーの島村俊治はスポーツ中継についてまずこう切り出した。
 スポーツは当たり前のことであるが、台本がなく先がどうなるかわからない。つまりこうなるだろうという予測は安易にできない。その予測とまったく違う結果になることもあるし、そのとおりになることもある。しかしそれは単なる偶然である。結果にこだわっていると大失敗する可能性がある。それだけスポーツを伝えることは難しい。
 声を聞けばああ、あの人とすぐ名前が浮かぶ島村の声は定着しているが、アナウンサーになることが彼の希望ではなかった。
「もともと音楽のデュレクターをやりたかったんです。たまたまアナウンサーになっただけ」
 いつ辞めてもいいと思い続けていたある日、駅伝の中継を担当した。その中継を聞いたタクシーの運転手さんが島村に言った。
「島村さん、あの中継良かったね」ただ、それだけだった。しかし、その言葉が島村の人生を変えた。
「それまではスポーツの中継なんてできないと思っていました。特にスポーツが好きというわけでもないし、本人もその意思がない。でもその一言で自分にもできるかもしれない。自分なりの言葉で、勝った、負けただけでないスポーツを伝えられるかもしれない。そう思えるようになりました」
 それからは、スポーツ中継をする前には徹底的に取材、調査に力を注いだ。誰にも負けないくらい情報を集めた。そしてスポーツ中継にはない、自分なりのスタイルを確立しようとした。
「その頃はね、みんな節をつけて伝えるんですよ。9回裏2アウト満塁、ヒットが出れば

 逆転サヨナラ〜、って僕たちはそれを詠うというのですが、そうではない中継をしようと思ったのです」
 島村の中継スタイルとは、取材して集めたデータを生かし、目の前の事実を具体的に伝える。島村いわく自分は"選手やゲームに関わるデータを集めて咀嚼し提示する料理人"だと。
 しかし、島村流の中継は簡単にできあがったものでではない。
「僕はあるときまで、平気であんなゴロ、エラーしちゃだめですね。プロなんだから・・・・とか、プロらしくプレーしてほしいですね。なんていう生意気なコメントを言っていたのです。すると一緒にブースで解説をしていた鶴岡一人さんに、あるとき言われたんです。選手にも親も、子もあるんやで、それをわかっとったらええけどね、と」
 島村はハッとした。マウンドに立つピッチャーは、いろんなものを背負ってマウンドに登る。もちろんチームの勝利のこと、自分の成績のこと、そして家族のこと、それが見えてなかったのだ。
 この言葉が島村の心をいれかえた。スポーツを伝える姿勢や人としてのかかわりを教えてくれたのがほかならぬ鶴岡一人さんであったのだ。そしてその頃もう一人運命的な出会いをした人がいた。村上雅則である。
「僕はよく鶴岡さんと組んで中継をしていたので、そこに顔を見せるマッシーとは良く顔を合わせていました。でも挨拶するぐらいだけの間柄だったのですがね」
 二人の距離を急速に縮めたのは野茂英雄の大リーグ選出だった。「95年に野茂がメジャーデビューしてBSで中継をすることになってあらためてマッシーと会ったわけです。それまでメジャーリーグのことをよく知っている人は確かにいましたけど、プレーした人は唯一マッシだったわけですからね。説得力が違いますよ」
 二人の初めての放送は向こうから送ってきた映像に音をのせるもので、ライブ感は少なかった。感動的な初仕事とはならなかった。
 しかし、島村には鮮明に記憶に残る中継がいくつもある。中でも印象深いのは野茂が出場したオールスターゲームだ。
「初めて二人で一緒にした放送は覚えていないのですが、野茂がオールスターで投げた時の中継はよく覚えています。実際現場まで足を運んで、この目でともに野茂を見たのですからね。マッシーが『今日のアーリントンの空は青かったなぁ。そこで野茂はマウンドに上がるんだなぁ』といった言葉もよく覚えています。
 島村というパートナーと組んで村上は新たな野球人生をスタートした。日本人としての初めての大リーグ経験者はその輝かしい履歴をひけらかすことはまったくしなかった。「マッシーはマッシーらしい放送をしますよね。穏やかで、やさしくて、的確なコメントを出す。余計なことは言わないし、選手を悪く言うようなことは絶対しない。僕たちはお互い全然違うスタイルだったので、とてもいいコンビだったと思いますよ」
 島村いわく、その人当たりのよさがマッシーの道を切り開いていったのではという分析をした。「スポーツでトップクラスの成績を残す人たちは概して、アクが強く、癖がありますよね。特にピッチャーはそうでしょう。自分のことしか考えていないし、自分中心にゲームは動くわけですから。そんな中でマッシーは珍しくノーマルな人です。だからアメリカでも、チームにすんなり受け入れられたのでしょうね」
 島村がこれからマッシーに期待することは指導者としての道だそうだ。彼の経験を大いに生かしてほしいと。
「マッシーは女子野球の監督の経験もありますしね。でも、監督をしても苦労するでしょうね。だってマッシーはとっても"いい人"だからね」


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