ロサンゼルスメモリアルコロシアム、9万を超す大観衆が「ゴー、ゴー、ゴー」と叫び、ふらふらでゴールに向かうスイスのガブリエラ・アンデルセンに大声援を送った。
夢遊病者のように今にも失神しそうになりながら歩くアンデルセン。
『命は大丈夫なのか』と思いながら、放送席にいた私のほほには涙が伝っていた。
『俺は泣いてはいけない。しっかり実況するんだ。泣くな、わめくな、叫ぶな、飾った言葉は避けろ』と心の中で言い聞かせながら、拳を握りしめ、ロサンゼルス五輪の女子マラソンのゴールシーンを伝えていた。
1984年のロサンゼルス五輪に初めて登場した女子マラソン。
30度を超す猛暑の中、ハイウェーを走る厳しいコンディションの中でスタートした。
女子マラソンはそれまで「女性が長い距離を走るのは危険だから」という見方から実施されていなかった。
それでも走りたかったパイオニアの女性たちは男装してまで男子のマラソンに隠れて走ってきたという歴史がある。
フラフラでゴールに向かうアンデルセン。
係員が手を貸せば失格になる。
実況アナウンサーとしての私への試練でもあった。
解説者はすでに感極まって泣き崩れている。
『これはテレビだ。映像がすべてを語っている。言葉はいらない』と自分に言い聞かせた。
それでも、スポーツアナの性、黙ることは勇気がいる。
しかし、こらえた。
「もう少しです。あと10メートルにかかりました。ゴールが見えるはずです。アンデルセン」
アンデルセンの気持ちは前に・・・足は動かない。
フラフラだがゴール目前まで来た。
私は心を込めて事実を伝えようと決心する。
「入りました」そして、こん身の力で「ゴールイン」と声を押し殺して叫んでいた。
ふらふらでゴールに向かうアンデルセンを見ながら、コメントはいくつか用意出来た。
「感動の金メダルを君に」「君に捧げよう感動の金メダル」など。
だが、決断は『用意したコメントは捨てよう』だった。
この第一回の五輪の女子マラソンは五輪の歴史にすばらしい足跡を残した。
ぶっちぎりで優勝したベノイトは「女性もちゃんと走れることを見せたかったのよ」と答えている。
以来、私はマラソンで完走したすべてのランナーが勝者だと思ってマイクに向かってきた。
あれから30年も経っていないのに、今や女子マラソンの方が男子より人気がある。
マラソンはよく人生に例えられる。
ベノイトのようにさっそうとテープをきるのか、アンデルセンのようにふらふらになりながらも死力を尽くすのか。
「ゴール」を目指す心のあり方をマラソンは教えてくれる。
なお、今は「フィニッシュ」と言うそうだ。
私は納得していない。
やはり「ゴールイン」だ。
「ゴールイン」はもう日本語なのだ。 |