日経ベンチャー・「2004年04月号」掲載記事
日本を変える『ニッポン』の経営者へ
「人を見る目」の磨き方
はじめに
 厳しい時代をともに生き抜く有望な人材を選ぶ。
 会社を食い物にする"危ない人間"を見破る。
 経営環境が好転の兆しを見せない中、経営者にとって「人を見る目」はますます欠かせない資質になりつつある。
各界で活躍するトップの人材鑑定術をリポートすると共に、心理学の視点から「人を見る能力」を科学的に分析する。
18年ぶりの阪神優勝 もう一つの真実
星野仙一の「人を見る目」はこう進化した

 全国の虎ファンを歓喜の渦に巻き込んだ阪神タイガースのリーグ優勝。
 その裏には、星野仙一前監督の「人を見抜く技術」の大いなる進化があった。
 
 公私共に星野氏を見守り続けてきたスポーツジャーナリスト「島村俊治」が語る、18年ぶりの胴上げの舞台裏。
 そして、星野仙一進化論。
万年Bクラスだった阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた闘将・星野仙一。私の20年来の友人でもある彼には、歴代の名将たちとは異なる大きな特徴が一つあります。それは、もと投手であることです。
 プロ野球の世界で名監督と呼ばれた人達の多くは内野手出身です。長嶋茂雄、王貞治を従えてX9を達成した川上哲治氏は一塁手、南海ホークスの黄金時代を築き、「グラウンドにはゼニが落ちている」という名言を残した故・鶴岡一人氏は三塁手です。
 管理野球を確立した広岡達朗氏は遊撃手でしたし、80年代に常勝軍団・西武を作り上げた森祇晶氏は捕手でした。投手出身の名将は、日本シリーズで、その"森西武"と歴史に残る死闘を繰り広げた元巨人の藤田元司氏ぐらいではないでしょうか。
 この理由は簡単に説明できます。試合中、守備体系から投手の状態までチーム全体に気を配らねばならない内野手に比べ、投手は、ある意味で"自分勝手な人達"だからです。
 考えることと言えば、まず自分のこと。他人のことは二の次。逆に言えば、そのぐらいの性格でなければ、ピッチャーなどやっていられないわけですが、結果として、投手出身の監督は、選手の潜在能力を見抜いたり、気持ちを汲んだりすることが相対的に苦手と見受けられます。
「名選手、名選手ならず」とよく言われますが。むしろ「名投手、名監督ならず」と言った方が正確ではないかというのが私の考えです。
 では、星野さんは投手出身でありながら、「人を見る目」をはじめとする名将の資質をも最初から兼ね備えた、希有な人材だったのでしょうか。決してそんなことはありません。87年に初めて中日ドラゴンズの監督になったばかりの彼は、まだ、投手出身監督の城を出ていなかったと思います。

2003年9月15日
虎ファンが夢にまで見た18年ぶりの胴上げ
 確かに、就任した翌年の88年には、中日を6年ぶりの優勝に導きました。ただ、あの優勝は、彼の生まれ付いての人間的魅力が、リリーフエースだった郭源治投手ら反骨精神溢れる選手達を突き動かした結果であり、"勢いでの勝利"だったと言えるのではないでしょうか。
 生え抜きのスターである牛島和彦投手ら4人との交換で、「最後の三冠王」落合博光選手(現中日監督)を獲得していたことも大きかった。いずれにしろ、星野さんの"監督術"が前面に出た優勝とは言えなかったと思うのです。
「闘将」を変えた「打撃の神様」
 しかし、昨年は違います。もちろん、選手達も頑張りましたが、それと同じくらい、星野さんの「選手を見抜く目」が、あのような強いチームを作る土台になったと私は考えています。
 星野さんが「人を見る目」を磨き上げるきっかけとなったのは、川上哲治氏でした。星野さんは92年、中日の監督を辞めた後、NHKの解説者になるわけですが、そこで、同じくNHKで解説を担当していた川上哲治氏と共に仕事をします。
「これはとてもかなう相手じゃない」その日から星野は川上を「師」とした
それまで星野さんにとって、川上氏は"最も忌々しい存在"でした。68年のドラフト会議。倉敷商業から明治大学へ進学し、東京六大学で活躍した星野さんは、巨人から1位指名の確約をもらっていました。しかし、実際には星野さんは指名されず、中日に入団します。あの日以来、彼は巨人を倒すことに命を懸けてきたし、川上氏はそんな宿敵の象徴的存在だったのです。
ところが、川上氏と一緒に仕事をして、いろいろな話をする内に、「これはとてもかなう相手じゃない」と認識を改めます。川上氏は私自身の人生の師でもあるのですが、とても器の大きな方です。
 「打撃の神様」としてあれだけの実績を残しながら、勝負を離れた場では気さくで人の話をよく聞き、尊大なところがまるでありません。出会ってすぐに星野さんは川上しに心酔し、その勧めに従い、禅寺に座禅を組みにいくようにもなっていきました。
 そうした交流を通じて、星野さんは川上氏から様々なことを学ぶのですが、その一つが「選手を評価する基準」でした。
 それは、「自己をきちんと確立し、自分の考えで行動している者は、見てくれや言動がどうであろうと、全面的に信頼する」というものです。この考えこそが、星野阪神のチーム作りの基礎となりました。
 例えば、エースである井川慶投手。彼は、星野さんの現役時代のイメージとはおよそかけ離れた選手です。
 母子家庭で育ち、「お父さんのいる子には絶対に負けない」と誓って野球を続けてきた星野さんは、文字通り、闘志をむき出しにする選手でした。
 それに対して、井川投手は茫洋として、掴み所がない今風の若者です。一見すると、いわゆる"星野好み"の選手ではないように思われます。
 そんな彼を星野さんが全面的に信頼したのは、彼が"自分を持った"選手だったからです。昨年12月、井川投手は、豪州へのX旅行に参加せず物議を醸しましたが、その理由が「自分のトレーニングに打ち込みたいから」であったことを私は知っています。まさに自分の考えに徹する男なのです。
なぜペタジーニでなく金本だったのか
 2002年のシーズン後、戦力を補強するに当たって、中村紀洋選手やペタジーニ選手でなく、金本知憲外野手を選んだのもこうした理由からでした。実績は互角ともいえる3人の中から金本選手を選択したのは、「広島時代から612試合、フルイニング出場を続けている不屈のプレーヤーが、野球選手として自己を確立していないはずがない」と判断したからでしょう。
"問題児"のイメージが強かった伊良部秀輝投手をメジャーから迎え入れたのも、彼が、自分の野球理論を持った大人のプレーヤーであることを見抜いたからにほかなりません。

3人の中から金本選手を選んだのは
「最も自己を確立しち選手」だったから
昨年の日本シリーズ第6戦。星野さんは第2戦で打たれた伊良部投手を再び先発させました。結果は裏目でしたが、星野さんはそのことを悔いてはいません。
こうした結果、昨年の阪神は、今岡誠内野手のような天才肌あり、赤星憲広外野手のような闘志を胸に秘めるタイプあり、伊良部投手のようなヒール役あり、と実に個性豊かな集団になりました。これは、ガッツを前面に押し出す選手を原則としてそろえた「一枚岩集団の星野中日」とは、対照的であったと思います。
さらに、星野さんは川上氏から、「一歩引いて、遠景からチームと選手を眺めることの大切さ」も学びました。
例えば、阪神での2年間、彼は選手と一線を引いて接していました。そしてその分、遠征先ではマスコミと一席を設け、様々なネタを提供する代わりに、選手の性格や近況を逆取材していました。部下の能力を正しく見抜くためには、間近で接するより、遠くから客観的に見つめることが大切だと考えるようになっていたからです。
その証拠に、彼は阪神の選手一人ひとりの正確を実によく把握しており、それは実践での選手操縦でもいかんなく発揮されました。
どんな相手にも謙虚に学ぶ そんな姿勢が星野を成長させた

選手を全面的に信頼し優勝だった
 例えば、2001年、フリーエージェントで日本ハムファイターズから阪神にやってきた片岡篤史外野手は真面目で一本気な男ですが、その性格が災いして1年目は結果を出すことが出来ませんでした。
 そんな片岡選手に対し、星野さんは慰めるどころか厳しい言葉を投げ掛け、左投手が出てくると冷酷にベンチへ下げました。これは、片岡選手の負けず嫌いの性格を見抜いており、そうする方が、彼を奮起させられると考えていたからです。
その一方で、日本シリーズ第3戦の10回裏、一死満塁、サヨナラの場面で打席に立った藤本敦士内野手へのアドバイスは、いかにも星野流といえるものでした。阪神は第1戦と第2戦を落としており、絶対に負けられない一戦です。打席に入る前の藤本選手の顔は緊張でこわばっていました。
藤本の緊張を解いた10回裏のささやき
 そんな藤本選手に星野さんは、「嫁さんにええ格好してこい」と冗談交じりにささやいたのです。守るダイエーの城島健司捕手は、初球、緩めの変化球でタイミングを外そうとしたのですが、星野さんの言葉で肩の力が抜けていた藤本選手は、タメをきかせてサヨナラの犠牲フライを打つことが出来ました。これもまた、藤本選手の置かれた状況を見抜いていた星野さんのファインプレーだったと思います。
 川上氏との出会いを通じて進化した、星野さんの「人を見る目」。もちろん、それは99年、開幕11連勝によって中日を11年ぶりにリーグ優勝させた際にも垣間見ることはできましたが、昨年は、それが最も花開いたシーズンだったと思います。
 阪神を優勝に導いて以降、星野さんは経営誌に登場することが増えました。確かに星野さんにはスポーツ選手のみならず、経営者が見習うべき点がたくさんあると思います。ただし、それは世間一般で語られている「思い切った決断力」や「闘志を前面に出す迫力」だけではありません。
 むしろ、星野さんの本当の魅力は、謙虚さ、柔軟さにあるのではないでしょうか。
 昨日まで「勝つことしか考えていないクソ親父」と思っていた人物であっても、「素晴らしい」と感じるや、懐に飛び込み、謙虚に学ぼうとする。星野さんのそうした態度は川上氏に対してだけでなく、コーチや選手たち、マスコミ、そしてファンに対しても共通しています。そんな姿勢こそが彼を成長させたし、そこにこそ、私たちや経営者の方々が、星野さんから学ぶべき点があると私は思います。


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